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2010/6/12 太素塚と新渡戸記念館

江戸末期に、 三本木原(現十和田市)に人工河川を上水し、碁盤の目状の都市計画を行い、十和田市の基礎をつくったのが、南部藩士・新渡戸傳(つとう)と、その子十次郎、孫の七郎でした。旧五千円札の肖像にもなった初代国際連盟事務次長の新渡戸稲造も、新渡戸傳の孫です。「太素塚」は、明治4年に新渡戸傳が亡くなったときに葬られた墓所です。

同じ敷地内には、十和田市立新渡戸記念館があり、新渡戸家の偉業や十和田市の生い立ちが学べます。緑の多い場所ですので、散策にも適しています。北里大学獣医学部からも、歩いて20分ほどのところにあります。

ここに載せた写真は、2010年6月12日に撮影したものです。

※下の写真にポインターを重ねると、大きな画像がご覧になれます。